※「金融翻訳チャレンジ」メニューでは、毎週、筆者が課題文を提供。金融翻訳に挑戦してみよう!
※筆者模範翻訳は、2020年12月20日(日)掲載予定
<課題文>
早期景気回復の可能性が高まる中、投資家は消費者物価の上昇からポートフォリオを守るため、物価連動債の需要が急上昇している。金融メディア報道によると、米国財務省が発行する物価連動国債 (通称TIPS) を購入する世界中のファンドは、この一週間でクライアントから25億ドルの資金流入を記録し、この10年で最大となっている。この数週間、投資家らは、世界の中央銀行による緩和的な金融政策と米新政権の新たな財政刺激策がインフレのモメンタムを押し上げるだろうと見込んでいる。資金流入は、エンダウメント、財団、年金基金、政府系ファンドのような大規模な機関投資家が占めており、この1~2週間では、新たに拠出された資金の90%が機関投資家によるものであった。
より急速な景気の反発は、FRBがインフレ率が目標の2%を超えて一時的に上昇することへの容認を示したこととも相まって、特にポートフォリオを一方向に傾けているファンドマネージャーの間で緊張感が走り、インフレの上振れによって、すでに歴史的な低水準にある債券のリターンの実質価値をさらに低下させるのではないかと危惧している。
「インフレ、つまり商品やサービスの価格上昇は、債券投資家に2つのマイナスの影響を与える可能性がある。1 つは明らかな影響であるが、もう 1 つは不鮮明な影響である。前者は、FRBによる利上げによるもので、後者は額面での名目リターントとインフレ調整後の実質リターンとの差への影響である」、と著名な経済学者は説明する。
このような状況の中、多くの投資会社がクライアントにTipsを推奨するのも至極当然のことかもしれない。
<筆者の模範翻訳>
Demand for inflation-linked securities is surging as investors seek to safeguard their portfolios against rising consumer prices amid the growing possibility of a faster economic recovery. According to financial media reports, funds across the globe, which buy Treasury Inflation-Protected Securities (commonly referred to as TIPS) issued by the US Treasury, racked up inflows of $2.5 billion from clients over the past week, the biggest in a decade. In recent weeks, investors have been betting that accommodative monetary policies by global central banks and new fiscal stimulus from the new US administration will boost inflation momentum. The inflows have been dominated by large institutional investors, including endowments, foundations, pension funds, as well as sovereign wealth funds, with 90% of newly committed capital coming from institutional investors in the last one to two weeks.
A swifter economic rebound, in lockstep with the Fed tolerating inflation temporarily above its 2% target, has put fund managers – particularly those who are tilting their portfolio in one direction – on edge, fearing that higher inflation would further reduce the real value of bond returns, which are already at historically low levels.
“Inflation, or rising prices of goods and services, may have two negative impacts on bond investors. One is an obvious influence, the other is obscure. The former is due to the Fed’s interest rate hikes, and the latter is the impact on the gap between nominal returns at face value and real returns adjusted for inflation," explains a prominent economist.
In those circumstances, it may be more than reasonable that many investment firms recommend TIPS to their clients.
<解説>
『早期景気回復の可能性が高まる中、投資家は消費者物価の上昇からポートフォリオを守るため、物価連動債の需要が急上昇している。』
「早期景気回復」 = a faster economic recovery
「早期」 には、speedy などもよく使われる。ただ、faster などのように、例えば市場が想定している以上に 「早く」 というふうに比較のニュアンスを含めたい場合は、speedy だと more speedy となり、幾分冗長性が増す。
a faster economic recovery
a more speedy economic recovery
と両者比べれば分かるように、前者の方が好まれる傾向にはある。
もちろん、比較級にする必要がない場合や、a more speedy ~ で翻訳してもOk。
「〜 からポートフォリオを守る」 = safeguard their portfolios against ~
against ではなく、from としても大丈夫。ただ、ニュアンス的には、against の方が、対峙するものからしっかり防御するニュアンスは高まる。
また 「守る」 訳語は、protect でも言い換えられるが、safeguard など、もう一段洗練された語彙も知っておきたい。
「物価連動債」 = inflation-linked securities
「物価連動債」 は、金融用語としてもしっかり押さえておきたい。
こうした金融用語の整理とそのリストは、翻訳作業をする上において欠かすことができないもので、筆者も本ブログ内において 金融翻訳用語集検索インデックス にてまとめている。その数は軽く10,000語を超える。長年の金融翻訳の経験の中で地道に整理してきたものなので、ぜひ参照されたい。
「物価連動債」 は、inflation-linked securities 以外にも、表記の異なりも含めて次ような言い換えもできる。
- inflation indexed bonds
- inflation-indexed bonds
- inflation indexed securities
- inflation-indexed securities
- inflation linked bonds
- inflation-linked bonds
- inflation linked securities
- inflation protected bonds
- inflation-protected bonds
- inflation protected securities
- inflation-protected securities
「急上昇する」 = surge
ただの 「上昇する」 ではなく、「急上昇する」 にも別の言い方は多い。
A to Z 順にすると、
- advance strongly
- double
- jump
- leap
- melt up
- roar
- skyrocket
- soar
- spike
- go/move/boom into stratosphere
- surge
- sweep up
など。主語によっては相性の悪いものもあるが、「急上昇」 の類義語としては確認しておきたい。
また、翻訳例として、これらを使った筆者のオリジナル模範翻訳を紹介しているので、金融翻訳例文集:ボキャブラリー別金融翻訳(動詞(句)編) を参考にされたい。
『金融メディア報道によると、米国財務省が発行する物価連動国債(通称TIPS)を購入する世界中のファンドは、この一週間でクライアントから25億ドルの資金流入を記録し、この10年で最大となっている。』
「米国財務省が発行する物価連動国債 (米国物価連動国債) 」 = Treasury Inflation-Protected Securities (TIPS)
「資金流入を記録する」 = rack up inflows
「(ファンドなどがインフローを) 記録する (獲得する)」 の訳語としては、rack up を使いこなす日本人はそう多くはないのではないか。よく知られているのは、record だ。ただ、その他にもより訳語の引き出しを増やすには、
- achieve
- gain
- get
- notch
- post
- rack up
- receive
- record
- see
くらいのリストは整理しておきたい。
『この数週間、投資家らは、世界の中央銀行による緩和的な金融政策と米新政権の新たな財政刺激策がインフレのモメンタムを押し上げるだろうと見込んでいる。』
「見込む」 = bet that ~
「見込む」 の訳語には、expect などが最頻出語だと思うが、 bet などもネイティブは金融分野でよく使う。bet の方がよりこなれた感はある。
『資金流入は、エンダウメント、財団、年金基金、政府系ファンドのような大規模な機関投資家が占めており、この1~2週間では、新たに拠出確約された資金の90%が機関投資家によるものであった。』
「資金流入は、〜」 = the inflows
「その 〜」 や 「同 〜」 などは原文に存在しないが、あきらに前述のinflows のことなので、定冠詞のthe は忘れないように。
「エンダウメント」 = endowment
Endowment の一般的な定義は 「寄附」 ですが、投資の世界では 「大学基金」 を指す。 米国のハーバード大学、イェール大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、コロンビア大学、ブラウン大学、ダートマス大学、コーネル大学で有名なIvy Leagueなどの大学基金はよく知られており、その基金は、各大学の卒業生や関係者から寄付金を原資として、大学経営を行っているからである。その規模は、およそ50兆円とも言われており、大学には投資本部(Investment Office)が設置され、毎年着実にリターンを上げている。全米にはこうしたエンダウメントが約700 〜 800 存在している。
したがって、金融分野の翻訳の際、endowment の訳語として、安易に 「寄附金」 などとしないことには留意しておきたい。
政府系ファンド = sovereign wealth funds
日本語では、ソブリン・ウエルス・ファンドとも言われ、英語の略称は SWF である。原資となる公的資金には、石油など天然資源からの利益や中央銀行の外貨準備高を原資としたものに分かれる。原油価格の暴落で、巨額の損失を被る中東産油国が市場から資金を引き上げる懸念でさらに市場のボラティリティが急上昇したりすることはよく知られるところである。
ノルウェー政府年金基金(GPF)、アラブ首長国連邦のアブダビ投資庁(ADIA)、サウジアラビアのサウジアラビア通貨庁、シンガポールのテマセクとシンガポール政府投資公社(GIC)、マレーシアのカザナ・ナショナル、中国の中国投資有限責任公司(CIC)などが著名である。
「この1~2週間では、新たに拠出確約された資金の90%が機関投資家によるものであった」 = with 90% of newly committed capital coming from institutional investors in the last one to two weeks
原文が比較的長く、翻訳者の多くが、「資金流入は、エンダウメント、財団、年金基金、政府系ファンドのような大規模な機関投資家が占めており 〜」 の後でピリオドを打つか、あるいはベーシックに and でつないだりするであろうが、ここでワンランク上の翻訳になるか、平凡な翻訳になるかの分岐点である。ワンランク上の翻訳を目指すのであれば、ピリオドでもand でもなく、 with + O + ~ ing の形で翻訳したい。
このwith + O + ~ ing の使い方はものすご〜く重要。
別の金融翻訳チャレンジの回でもふれたことであるがとても大切な手法なので、ここで改めて述べておきたい。
少々長めの原文になると、翻訳学校や翻訳講師の中でも、積極的にこの2文や3文に分割して翻訳することを推奨していることがある。ただ時にはいいとしても、このパターンが続くと、クライアント側にネイティブの校正者がいる場合など目が肥えた人が検品した時、 “poor quality” とフィードバックされてきた経験を、筆者が社内校正者であった時代に、何度もしている。
したがって、原文が比較的長い時でも、文を安易に分割するのではなく、流暢にそして上手くつなげていく翻訳力は常に探求してほしい。そのためにもここで力説している、いわゆる順節的(通常であれば andが使われがち)、あるいは結果論的に(通常であれば and as a result が使われがち )、または同時進行的に(通常であればwhileが使われがち) 文が展開している場合は with O + ~ ing あるいは being Past Participle (過去分詞) の形で翻訳することをお奨めしたい。
この手法は日本人がほとんど使いこなせていない、がネイティブは多用している。
基本概念は、受験英語でもよく教わったwith O C の構文であるが、その場合は、
He was talking with his mouth full. = 彼は口の中をいっぱいにして、喋っていた。
The baby was sleeping with his eye open. = その赤ちゃんは目を開けて眠っていた。
など、付帯状況のwith という類で、「〜 しながら」の意味で、C (Complement 補語) は決まって形容詞が置かれるケースに限定して学習していた。
しかし、プロの翻訳レベルになるとその範囲のみでwithを使っていては物足りない。 もう一度繰り返すと、
主文の後、and などを使って順節的、あるいはand as a result などを使って結果論的に、また whileなどを使って同時進行的に展開する場合は、 with O + ~ ing あるいは being Past Participle (過去分詞) で翻訳を心がける。さらに言うと、その withの前にはカンマを置く方がより文と文のつなぎ目が明確になる。
この with O + ~ ing/ being past participle (過去分詞) の手法は、金融翻訳(その他の翻訳でも)において、最重要テクニックのひとつなので、本ブログ内 <ワンランク上の金融翻訳> でも近々特集したい。
その前哨戦として、Financial Times から一文だけ、その用例を引用しておく。
<Financial Times からの実用例>
A dramatic gap has opened in how banks and the bond market perceive the health of corporate America, with banks setting aside billions against bad loans even while bond prices suggest a dramatic recuperation from the Covid-19 shock.
<対訳>
銀行と債券市場との間で、米国企業における健全性の認識のしかたに非常に大きな乖離が生じており、債券価格がコロナショックからの劇的な回復を示唆している一方で、銀行は不良債権に対し数十億ドルの引当金を計上している。
これは、with の中でさらにwhile も使っているので一段レベルが高い用例であるが、with banks setting aside billions against bad loans として、a dramatic gap has opened in how banks and the bond market perceive the health of corporate Americaの後につなげている。順節的な and、あるいは同時進行的な while のニュアンスを含んだ with ~ である。
以上、今回も
「この1~2週間では、新たに拠出確約された資金の90%が機関投資家によるものであった」 = with 90% of newly committed capital coming from institutional investors in the last one to two weeks
と with + 90% of newly committed capital + coming ~ の形で翻訳。
「新たに拠出確約された資金」 = newly committed capital
「(ファンドへの資金など) を拠出を確約 (コミット) する」 は commit が金融用語である。金融分野に精通していないとなかなか知られていない語彙である。
こうしたファンドやプライベート・エクイティなどへの投資資金の拠出で使われる用語であるが、契約時に commitment し、一度に拠出する場合と長期にわたって案件ごとに拠出する場合などがある。
『より急速な景気の反発は、FRBがインフレ率が目標の2%を超えて一時的に上昇することへの容認を示したこととも相まって、特にポートフォリオを一方向に傾けているファンドマネージャーの間で緊張感が走り、インフレの上振れによって、すでに歴史的な低水準にある債券のリターンの実質価値をさらに低下させるのではないかと危惧している。』
「より急速な景気の反発」 = a swifter economic rebound
swift の代わりに、rapid も訳語として使われる。
「〜 とも相まって」 = in lockstep with ~
- along with
- combined with
- coupled with
などでも類似のニュアンスが表現できる。
「特にポートフォリオを一方向に傾けているファンドマネージャーの間で緊張感が走り」 = put fund managers – particularly those who are tilting their portfolio in one direction – on edge
put + O + on edge という日本人があまり使いきれていない表現である。
on edge = 危機感を感じて、不安に感じて
などの定義なので、そういう心境や状態に put するというニュアンスである。
「ポートフォリオを一方向に傾けている」 = tilt one’s portfolio in one direction
「FRBがインフレ率が目標の2%を超えて一時的に上昇することへの容認を示したこととも相まって」 =
in lockstep with the Fed tolerating inflation temporarily above its 2% target
ここで重要ポイントは、 with the Fed tolerating ~ の形。本ブログでも <ワンランク上の金融翻訳> メニュー内をはじめ一貫してこの表現手法の大切さを説いている。
第2回 【ワンランク上の翻訳には欠かせない表現法:前置詞 + 目的語 (意味上の主語) + ~ing (動名詞)、前置詞 + 目的語 + ~ ing(現在分詞)】
はぜひ参照されたい。
ネイティブの英語に1歩も2歩も近づく技である。
「実質価値をさらに低下させる」 = reduce the real value
「(価値など) を低下させる」 の訳語は、この reduce の他に、
- erode
- impair
などはサッと使えるようにしておきたい。
「〜 を危惧している」 = fear
『「インフレ、つまり商品やサービスの価格上昇は、債券投資家に2つのマイナスの影響を与える可能性がある。1 つは明らかな影響であるが、もう 1 つは不鮮明な影響である。前者は、FRBによる利上げによるもので、後者は額面での名目リターントとインフレ調整後の実質リターンとの差への影響である」、と著名な経済学者は説明する。』
「額面での名目リターントとインフレ調整後の実質リターンとの差」 = the gap between nominal returns at face value and real returns adjusted for inflation
「差」、「乖離」、「逸脱」 など、金融分野には頻出の言い回しである。gap 以外でも
- deviation
- dichotomy
- difference
- differential
- disconnection
- divergence
- division
- gulf
などは押さえておこう。
「額面での名目リターント」 = nominal returns at face value
「額面」 には、par value でもOk。
「インフレ調整後の実質リターン」 = real returns adjusted for inflation
『このような状況の中、多くの投資会社がクライアントにTipsを推奨するのも至極当然のことかもしれない。』
「至極当然のことかもしれない」 = it may be more than reasonable that ~
「至極当然である」 の訳出はけっこう難しいのではないだろうか。
it is natural ~ でも表現できるが、筆者はmore than reasonable の方がよりネイティブ感が高く、流暢だと思うため、これを使って翻訳した。
「〜 を推奨する」 = recommend
recommend がパッと浮かびやすいのでないだろうか。recommend 以外では
advocate でもいいだろう。
「このような状況の中」 = in those circumstances
in ではなく under でもまったく問題ない。
本稿内、筆者のオリジナル模範翻訳および金融メディア等からの用例は 金融翻訳例文集:金融翻訳チャレンジ に、さらに本ブログ内すべての筆者による模範翻訳等は、金融翻訳・全項目800例文集 に網羅している。
翻訳力、ライティング力をはじめ、スピーキングなどの英語表現力も含めた総合的英語力の向上に、音読学習も取り入れながら、ぜひ活用されたい。